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名古屋地方裁判所 平成7年(ヨ)760号 決定

東京都千代田区神田駿河台二丁目五番地

債権者

杏林製薬株式会社

右代表者代表取締役

荻原秀

右代理人弁護士

花岡巌

同右

唐澤貴夫

名古屋市千種区内山三丁目三二番二号

債務者

堀田薬品合成株式会社

右代表者代表取締役

堀田和正

右代理人弁護士

塩見渉

右輔佐人弁理士

向山正一

主文

一  債権者が本決定告知後一〇日以内に債務者のために二〇〇〇万円の担保を立てることを条件として、

1  債務者は、平成九年五月一六日が経過するまで、別紙物件目録(二)記載の物件を製造し、販売してはならない。

2  債務者の別紙物件目録(一)及び(二)記載の各物件に対する占有を解いて、右物件所在地を管轄する地方裁判所の執行官にその保管を命じる。

二  申立費用は、債務者の負担とする。

事実及び理由

第一  申立ての趣旨

主文第一項1、2と同趣旨

一  当事者の主張

1  被保全権利

(一) 債権者は、別紙特許権目録記載の特許権(以下「本件特許権」といい、その発明を「本件特許発明」という。)を有している。

(二)、債務者は、本件特許権の特許請求の範囲第一項に係る物質(以下「本件特許物質」という。)の一である別紙物件目録(一)記載の物質(以下「ノルフロキサシン」という。)を含有する別紙物件目録(二)記載の医薬品製剤(以下「債務者製品」又は「マリオットン錠」という。)を製造販売している。

(三) よって、債務者が債務者製品を製造販売することは、本件特許権の侵害行為に当たる。

2  保全の必要性

債権者は、本件特許物質の一であるノルフロキサシンを含有する医薬品製剤(以下「債権者製品」又は「バクシダール錠」という。)を製造販売しているところ、債務者が債務者製品を製造販売することにより、債権者製品の販売単価が低下し、販売数量が減少しているため、回復しがたい損害を被るおそれがある。

二  債務者の主張

1  被保全権利について

本件特許権は、平成六年法律第一一六号特許法等の一部を改正する法律(以下「改正法」という。)の施行により、その存続期間の終期が平成七年九月四日から平成九年五月一六日に延長されたものであるところ、債務者は、改正法の公布の日である平成六年一二月一四日より前に、債務者製品の製造承認申請、攪拌造粒機の導入の準備、打錠機杵用母型の発注を行っており、これらは本件特許発明の実施である「事業の準備」に当たるから、改正法の附則五条二項(以下「附則五条二項」という。)の規定に基づき、本件特許権について通常実施権を有している。

2  保全の必要性について

製造販売が一時的にでも差し止められると、債務者製品は、安定供給不能と認定され、薬価基準収載から削除されるおそれがある。そして、その場合には、再度の収載は事実上困難であり、債務者が再び債務者製品を製造販売する可能性は閉ざされることになる。

これに対し、債権者の利益は、本案訴訟によって権利関係が確定された段階において、金銭賠償によって確保することが可能である。

三  債権者の反論

1  附則五条二項の「事業の準備」というためには、「重大な投資」が行われていなければならないというべきであり、少なくとも、当該行為を行うための主要な設備を作るための投資がなされ、実際に当該設備が作られていることを要するというべきである。

債務者の主張する準備行為は、右の要件を満たしていない。

2  債務者は、本件特許権の延長前の存続期間の終期である平成七年九月四日以前から、債務者の主張する各準備行為のために、債務者製品の製造・使用行為を行っていた。右行為は、本件特許権の侵害行為に当たる。

そうすると、本件特許権の侵害行為を行っていた債務者は、信義則上、本件特許権について附則五条二項に基づく通常実施権の取得原因として右準備行為を主張することはできないというべきである。

3  債務者は、附則五条二項に基づく通常実施権の主張をしながら、所定の実施料を支払ったことも、供託したこともないから、それだけでは、通常実施権は成立しないというべきである。

四  債務者の再反論

1(一)  特許法六七条二項の「実施」には、特許権者による製造承認を得るための試験のための実施は含まれないものとされている。それとの均衡からして、同項の適用を受ける医薬品については、その試験のための製造使用は同法六八条の「実施」には当たらないと解すべきである。

(二)  右のように解せないとしても、平成七年九月四日以前の債務者製品の製造・使用行為は、製造承認を得るための各種試験を行うことを目的としたものであり、販売を目的としたものではないから、特許法六八条本文の「業として」の実施には当たらない。

(三)  また、右製造・使用行為は、特許法六九条一項の「試験」のための実施に当たる。

(四)  したがって、右製造・使用行為は、本件特許権の侵害行為には当たらない。

2(一)  製薬業界においては、特許期間満了後に製造販売することを予定して、特許期間満了前から予め製造承認を申請することや、製造承認申請のために特許物質を使用した試験を実施することは、通常の手順として広く行われていた。

(二)  したがって、仮に右製造・使用行為が特許権の侵害行為に当たるとしても、債務者において通常実施権の主張をすることが信義則に反するとまでいえない。

3  債務者は、造粒テストの際には、ピペミド酸三水和物を使用し、ノルフロキサシンを使用していないから、攪拌造粒機の導入の準備に関しては本件特許権を侵害していない。したがって、仮に平成七年九月四日以前の債務者製品の製造・使用行為が本件特許権の侵害行為に当たるとしても、攪拌造粒機の導入の準備に基づいて通常実施権を主張することは、信義則に反しない。

第三  当裁判所の判断

一  債権者が本件特許権を有していること、債務者が債務者製品を製造販売していることについては、当事者間に争いがない。

二  証拠(乙一ないし五、七ないし二七、二九ないし三一、乙三八の一、二、乙三九)と審尋の全趣旨によると、以下の事実が一応認められる。

1(一)  平成四年一〇月上旬 債務者において製剤の試作開始

一〇月一九日 製剤試作完了(未包装)

一一月一一日 製剤包装終了

(二)  平成四年一一月一二日-一九日 実測値試験実施、安定性試験開始

一二月一四日-一八日 安定性試験一ヵ月

平成五年二月一二日-一八日 安定性試験三ヵ月

五月一二日-一八日 安定性試験六ヵ月

(三)  平成五年三月二二日 医療機関(上福岡総合病院)との間で同等性試験実施契約を締結

五月二九日-三〇日 同等性試験(予試験)

六月一九日-二〇日 同等性試験(本試験第1期)

六月二六日-二七日 同等性試験(本試験第2期)

六月二七日-七月二二日 薬物血中濃度分析及び資料作成

(四)  平成五年二月-五月 文献リスト作成

(五)  平成五年七月三〇日 製造承認申請・製造品目追加許可申請

(六)  平成七年二月一五日 製造承認・製造品目追加許可の取得

2(一)  平成四年六月 マリオットン錠開発決定を受けて、新型攪拌造粒機導入の検討

(二)  平成五年四月 愛知電機株式会社(以下「愛知電機」という。)から同社の機械の説明と共同開発の提案

(三)  平成五年四月-平成六年四月

愛知電機の試作機により造粒テストを繰り返し、改良を重ねる。

(四)  平成六年五月三〇日 購入決定。以後、さらに造粒テストを継続。

八月二九日 設置場所決定

九月二一日 実機外形図受領 以後、一部手直し指示、細部変更。

一一月一一日 見積仕様書受領

一一月二八日 見積書受領(見積金額一二七〇万円)

一二月四日 仮発注書発行

一二月二二日 リース契約締結

(五)  平成七年一月一二日 納入仕様書受領

六月二五日 実機納入

3(一)  平成六年七月一八日 マリオットン錠の杵作成依頼

七月二九日 母型図面作成

九月二七日 母型完成

(二)  平成七年二月九日 母型により製作された杵納入

三1  右に認定したところによると、債務者は、改正法の公布された平成六年一二日一四日より前に、改正法による期間延長前の本件特許権の終期である平成七年九月四日が経過したときは、直ちに、マリオットン錠を製造販売する意思のもとに、相当の投資をしたものと認めることができ、また、右意思は客観的に認識できる程度に表明されていたものと認めることができる。

2  しかしながら、審尋の全趣旨によると、製造承認を得るためのマリオットン錠の製造、使用は、マリオットン錠を将来製造販売するため、債務者の事業活動の一環としてなされたものと認められ、個人的又は家庭内における行為にとどまるものではないから、特許法六八条本文の「業として」行われたものと認められる。

また、右製造、使用は、その性質上、マリオットン錠の具体的な製造技術を確立するとともに、製造承認を得るためにマリオットン錠が債権者製品(バクシダール錠)と同等であるとのデータを取得することを目的としてなされたものと認められ、技術の進歩を目的としてなされたものとはいえないから、同法六九条一項の「試験」のための実施には当たらないというべきである。

したがって、債務者の行った製造承認を得るためのマリオットン錠の製造、使用は、本件特許権の侵害行為に当たる。

(なお、製造承認を得るための試験のための実施が同法六七条二項の「実施」に含まれないのは、同項が延長登録の要件を定めることから導かれる当然の結論である。これに対し、特許権の侵害という観点から「実施」に当たるかどうかは、同法六八条、二条三項に基づいて決定されるべき性質のものであって、六七条二項と同様に解すべき理由はない。)

3  そうすると、債務者の得た製造承認は、本件特許権の侵害行為を不可欠の前提とするものであり、かつ、侵害行為の成果そのものというべきものである。

また、二において認定した事実と審尋の全趣旨によると、攪拌造粒機導入準備及び杵の作成準備は、平成七年二月ころにマリオットン錠の製造承認がなされることを見込んだ上で行われたものと認められ、改正法による期間延長前の本件特許権の終期を過ぎてから製造承認取得のためにマリオットン錠の製造使用を行うことを予定する場合には、右の時期に行うべき準備行為でないことは明らかである。しかも、審尋の全趣旨によると、本件の攪拌造粒機は、マリオットン錠専用機ではなく、他の薬品の製剤のためにも使用することが可能であることが認められ、杵の値段は、合計二二万五〇〇〇円に過ぎない(乙二七)。

したがって、債務者が改正法の公布された平成六年一二日一四日より前に行っていた準備行為は、いずれも、本件特許権の侵害行為、当該侵害行為の成果又は当該侵害行為若しくはその成果を前提とする行為に当たることになるから、債務者は、信義則上、附則五条二項の「実施の準備」を行っていたことの根拠として、前記二において認定した各行為をしていたことを主張することはできないというべきである。

4  なお、製薬業界において、特許期間満了後に製造販売することを予定して、特許期間満了前に、製造承認申請のために特許物質を使用した試験を実施することが、通常の手順として広く行われていたとしても、それは、違法行為が広く行われていたというに過ぎず、それによって、違法行為が正当化され、あるいは、当該違法行為について信義則の適用がないとされるものではない。

5  したがって、債務者は、本件特許権につき、改正法の附則五条二項による通常実施権を有していないことになる。

四  保全の必要性について

証拠(甲五、六)と審尋の全趣旨によると、債権者商品は債権者の主力商品であるところ、債務者が債務者製品を製造販売することにより、著しく、債権者製品の販売単価が低下し、かつ、販売数量が減少しており、債権者に回復しがたい損害が生じるおそれがあることが一応認められる。

よって、債務者製品の製造販売の差止めについて、保全の必要性を認めることができる。

平成八年八月二八日

(裁判長裁判官 岡久幸治 裁判官 森義之 裁判官 岩松浩之)

物件目録(一)

次の化学式で表される化合物〔1ーエチル-6-フルオロ-7-(1ーピペラジニル)-4-オキソ-1、4-ジヒドロキノリン-3-カルボン酸。一般名ノルフロキサシン〕

〈省略〉

物件目録(二)

物件目録(一)記載のノルフロキサシンを含む製剤(商品名「マリオットン錠一〇〇」)

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